小児がん闘病記~看護の始まり
ガン治療に最も効果的な食事法
小児がん闘病記を探していると、人間は決して1人では生きられないことを痛感します。
通常なら日記や記録は自分自身で綴っていくものですが、症状を抱えているのが子供ということで、その両親が我が子の治療の様子等を記したものを読んでいると、子供にとって親が欠かせないのと同様に、親にとって我が子がどれほど大切な宝物であるのかを感じずにはいられません。
看護は決して簡単なものではないことは、小児がん闘病記からも読み取れます。
健康であっても子供は言うことをしっかり聞くものではありませんし、好奇心旺盛な彼らが大人しくしていられるはずもないのですから、それは仕方のないことでしょう。
大人なら、治療のためと薬を飲んだり注射を我慢したりもしますが、子供は感情を率直に表します。
現実の看護は小児がん闘病記よりもはるかに過酷であり、育児ノイローゼをさらにひどくしたような苦労を強いられることは事実です。
しかし、まだこの世界に誕生してまもなく苦難に立ち向かっている小さな命を目の前にすると、決して自分が逃げてはいけないという責任感が湧いてくるのも事実です。
自分達がしっかりしなくては、この子は生きていけないと思えば、いつまでも落ち込んでばかりはいられません。
他の方が書き記した小児がん闘病記を読んでいても、決して平坦な道のりを歩んでいるわけではないことがわかります。
しかし、天使のような笑顔を見ることができれば、それまでの苦労をすっかり報われてしまうのですから、いつの間にか私も親ばかになっていたのでしょう。
そんな時、無事に生まれてきてくれた日のことを思い出し、なぜ誕生日を毎年祝っているのかを実感できたときの感情が何度も甦るのです。
不治の病ではない以上、小児がん闘病記は完治するまで続けていきたいと思います。
そして健康な大人になって社会に出て行く我が子を見届けるまでは、決して諦めたくないのです。
たとえわずかな望みしかないとしても、治療の手段が残されている限りは、生きていられるということです。
考え方を変えれば、小児がん闘病記を記している私のことを、いずれ大きくなったこの子が介護してくれる日だってくるのかもしれません。
動物と違い、人間は幼児期と老人になってからの時期が極端に弱々しくて、自分ひとりでは生活を支えることさえもできないという特徴をもっています。
今は私達が看護をする側ですが、いずれはそれが逆転する日がくるかもしれないのです。
幼い頃は病弱だったのに、大人になったらすっかり健康になって頑丈な体になる人というのはいるものです。
昔小児がん闘病記に登場していたことが不思議なくらいにたくましい大人になってくれる望みだって、まだまだ残されています。
希望を抱いていられるうちは人間は強くなれますし、がんばることができます。 子供の成長を見ていると、急速に賢くなり、今までできなかったことができるようになっていく姿に感動します。
我が子を天才と思ってしまうのは、親の特権なのではないかと思うほどです。
小児がんと宣告されてからしばらくが経ち、闘病記をつけ始めたのですが、いくら健康ではないとはいえ、最初のページだった頃よりも我が子は色々なことができるようになっているのです。
言葉も覚えて語彙は増えましたし、表情もいっそう豊かになりました。
こんな時期に英語やピアノを習わせればぐんぐん上達していくのでしょうが、今の私達にはちゃんと大人になって生活できるようになってくれれば、それだけで十分幸せです。
もちろん音楽の才能があるのであれば、それを伸ばしてあげるのが親の務めなのかもしれませんが、それだけの時間や体力があれば病院に連れて行ってあげるほうが、小児がんにかかっている我が子には役立ちます。
闘病記が思いがけず、成長の記録にもなっていたことに気付いたとき、夫婦で手を取り合って喜びました。
思うように症状は変わらず、治療が一進一退の状態で進展していないという焦りを感じていたので、それでも育ってくれているという事実は大きな喜びになりました。
他の方の小児がん闘病記を読んでいても思うことですが、治療には多くの悩みがある反面、大人ではないからこそ得られる幸せもあります。
もしも高齢になってから深刻な病気にかかってしまえば、完治を望むより延命を選択するというケースも出てくるでしょうし、多かれ少なかれ人生の残りの部分、つまり余命という感覚があることと思います。
しかし、闘病記に出てくるような小児がんの症状を持っている子供の場合、平均寿命からするとあと70年ほどの人生が残されているはずで、人生の大半はまだこれからなのです。
順調に回復することができれば、いずれは独り立ちして社会人となっていくことができるので問題ありませんが、もしも病弱なまま成人になって、親が先に天寿をまっとうしてしまったりしたら、働けるだけの強靭な肉体を持たない彼らはどうなるのでしょうか?
そのような将来への心許なさが、小児がん闘病記からはしばしば読み取れて切なくなります。
もちろん、国の制度として保険もありますし、そのような場合の救済措置というものも用意されていることとは思いますが、経済的に困窮しながら病弱な体で孤独に過ごすようなことになりかねないと思うと、気持ちが暗くなります。
同年代の子供達と遊ぶ時間だって制約を受けますし、人間関係が苦手になってしまうことも十分にありえるはずです。
自分が小児がん闘病記を書くようになってから、いっそう様々な変化に気付いたり、将来への不安がよぎったりすることが多くなりました。
活字にするというのは思考をまとめるために効果的なようで、四六時中我が子のことを心配しているようでも、その時によって別の角度から考えているわけで、改めて文章としてまとめてみると、そこから見えてくる発見もあるのです。
医師とのやり取りの中で解消される不安もありますが、他の方はどのように現実を受け入れているかを知りたいと思ったときに役立つのが闘病記です。
患者の親という視点から描かれているので、共感できたり勇気付けられることも少なくありません。
いずれは私と子供の小児がん闘病記が他の方を励ますことができれば幸せなことです。
ガン治療に最も効果的な食事法 闘病記~小児がん研究
ガン治療に最も効果的な食事法
小児がん研究の注目点、患者とその両親に希望を与える発見とは?
子供の看護をしたり闘病記を読んだりしていると、もっと画期的な治療法が確立されないかとやきもきすることがあります。
日本小児がん学界の研究成果を調べるために頻繁にホームページを見たり、他の方の闘病記を見ていたりしても、我が子が元気になってくれるわけでもありません。
健康であれば遊び盛りのはずなのに、何が原因でこのようなことになってしまったのでしょうか?
病気を患って入れば大人でもなかなか幸せになるのは難しいでしょう。
幼い命を救うための小児がん研究が発展すれば、国内の子供達はもとより、世界中の小さな命が救われるはずです。
医学の最先端技術を開発して世界に普及させることも、立派な国際貢献になるはずです。
無駄なODAを制限して医療の発展のための費用にして、もっと小児がんの研究にしてもらえればと、これまでどんなに願ったかしれません。
江戸時代やそれ以前とは違い、子供の生存率は大きく高まり、成人まで生きるのは当たり前という意識が社会には広まっています。
私自身もそうだったのですが、成人までの生存率はほぼ100%に近い数字で推移しているだろうと高をくくっていました。
現実には、自己や病気で亡くなるお子さんは少ないわけではなく、中には親の不注意で事故にあってしまうケースもあるという話を聞き、出産が近づいてくると不安にかられたりもしました。
ふたを開けてみると、我が子が小児がんにかかっていて、少しでも研究が進んでほしいと願いながら闘病記を読み漁る日々が続くことになります。
国内外、どちらで成果が上がってもよいのですが、我が子がその恩恵を受けられるタイミングを考慮すると、できれば日本国内で新しい治療方法が発見されることが好ましいのでしょう。
粘り強い姿勢は大切だと分かるのですが、時間をかけていては命の危険もあります。
利己的だとは思いながらも、我が子が手遅れにならないうちに、小児がん研究の成果を上げてほしいと願ってしまいます。
平均寿命であれば、男女通算で約80歳という時代に、なぜこんなにも間近に死の影を意識しなくてはならないのだろうと、途方に暮れてしまうこともあります。
もう少し強い体を持っていれば、他の子達と同じように、外で元気に走り回ることもできれば、海やキャンプに連れて行く事だってできたはずなのに、どうしてこのような試練を乗り越えなければならないのでしょうか?
すでに小児がんは研究が始まって間もないものではありませんし、ノウハウも蓄積されているはずです。
歴史の上に大きな功績を残す名医や研究者が現われることを切に願ってやみません。
目新しさだけを求めた治療ならお断りですが、本当に子供が健康を取り戻すために役立つ情報があるのなら、遠方まででも出向く価値はあります。
画期的な小児がん研究の結果が出たので、アメリカまで来ればすぐに治療をして完治させると言われたなら、迷わずパスポートと飛行機のチケットを用意して渡航を決断するでしょう。
そのくらいの覚悟ならいつだって決まっているのですが、なかなか朗報は届きません。
果報は寝て待てという諺がありますが、寝て待っていられるほど悠長な状況ではありません。
のんびり待ちぼうけしている間に、手遅れになってしまう事だって十分ありえます。
ことさらに焦ったところで、自分が今から医師になって小児がんの研究に従事することができるわけでもありませんし、意味がないと言われれば反論の余地もないのですが、それでものんびりしていられる余裕などは持てません。
親がピリピリしていては子供に悪い影響を及ぼすとは思うので、できるだけ笑顔で接してはいますが、時々世界から見放されたような疎外感にさいなまれることもあります。
なぜよりによってうちの子がこんな目に合わなければならないのでしょうか?
もしも両親の不摂生が原因なのだとしたら、私達に病魔が襲ってくればいいのです。
小児がんの研究で罪のない命が救われることを祈っています。
大人なら、闘病生活に耐えられるだけの気力もありますが、子供にはまだ精神的にも免疫が備わっていません。
辛い治療に励むことにより、どのような喜びが待っているかなど、知る由もないのです。
それでも健気に治療を受け入れている姿を見ると、天使のような存在だとしみじみと感じます。
たとえ神様に見放されたとしても、私達は見放したりしないと抱きしめた時、子供の手が私を包み込んでくれたように感じました。
慰めているつもりが、私こそ慰められていたのかもしれません。
そんな優しい子供達を救うため、小児がん研究を行っている医師や学者の方たちには、個人でがんばるだけではなく、日本小児がん学界を通じて研究を共有するとか、独自のネットワークを構築するなどして、それぞれの成果を持ち寄って発展させる場を設けてほしいと思います。
素人の私見など役に立つものではないのでしょうが、親として協力できることがあるのなら、惜しむものなどはありません。
弱々しい体ながら、これまで治療に耐えて生き延びてくれたのだから、私達が思っているよりもずっと強靭な生命力を秘めているのかもしれません。
そのたくましさがあれば、小児がん研究が発展するまで持ちこたえることもできるのではないかと、必死に希望を探しています。
親が諦めてしまっては、誰も子供を信じて支える人間がいなくなってしまいます。
医師は治療を行ってくれていますし、親身になってくれる名医かもしれませんが、それでも身内ではないという感覚は拭いきれません。
病院でも、何か小児がんの研究で耳寄りな情報があれば、夜中でもいいのですぐに教えてほしいとは伝えてありますが、まだその知らせは届きません。 ガン治療に最も効果的な食事法 闘病記~日本小児がん学界の動き
ガン治療に最も効果的な食事法
日本小児がん学界によって、それぞれの医師が個別に研究や治療を行うだけではなく、成果を持ち寄って子供達の暮らしを少しでも救ってくれれば、そんな期待を持っている方は少なくないでしょう。
個人の努力よりも、それが結集した集団の力のほうが大きいのは世の常で、その集合の場として期待されるのが日本小児がん学界です。
小児がんにかかった子供を持つ親としては、病院の垣根など取り払って、情報を共有して欲しいのは当然のことですし、それによって我が子の症状が緩和されるのであれば、何の迷いもないでしょう。
新しい治療法やこれまでに培ったノウハウの継承の場として、個別の病院だけでは心許ないものです。
病院を横断して日本小児がん学界が橋渡し役となり、ベテランから若手医師への技術の承継が行われれば、日本の医療レベルを上げることになります。
子供相手の治療となるだけに、対人関係にも特殊な要素が生じるので、その部分についても日本小児がん学界による情報収集と分析を期待したいところです。
普通の子供のように、夏は海で水遊びをしたり、キャンプに行ったりできるようにするための対策を日本小児がん学界に講じて欲しいと勝手な期待をしてしまいます。
今後は国際交流も増やして頂けば、世界の子供達を救うきっかけになるかもしれません。
もしそうなれば、この上なく大きな国際貢献ではないでしょうか?
命の危機にさらされた子供達はもちろん、その家族も感謝することになるのですから、日本から来た医師団の評判は、数十年にわたって地域に根ざすことでしょう。
その旗振り役を担えるのが日本小児がん学界です。
0から新しく立ち上げるという方法もありますが、必要な労力や時間を考慮すると、すでに組織として成り立っている日本小児がん学界がイニシアチブを取っていくという方法が現実的だと考えられます。
現に、シンポジウムの開催等を行っていますし、今後の動きに注目です。 ガン治療に最も効果的な食事法 |
我が子が小児がんにかかってしまったと聞いたとき、目の前が真っ暗になりました。
まさか自分の子供が幼くして闘病生活を送ることになるなんて、予想もしていなかったことです。 それでも現実を受け入れないわけにはいきません。 そんなときに心の支えになったのが、他の方が書かれた小児がん闘病記です。 私の闘病記が皆さんの参考になれば幸いです。 OTHERS
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